1週間ぶりの更新となります また新たにお気に入り 頂いた皆さん いつも閲覧、拍手にコメント 頂く皆さん ありがとうございます m(__)m 前回、私の子供時代から 大まかに短大に行くため 上京するまでを載せました。 私自身は最初どのように パチンコに触れたのか? それを語る前に少し脱線しますが 父親とパチンコについてを 語りたいと思います 私が生まれた時は 父親は31歳、 すでにパチンコに関わる仕事を してましたが、 自身の先輩から屋台の パチンコを任せられたのが きっかけみたいです。 (前回ログ参照) その先輩づてで、九州地方で 新規パチンコ店をオープン するために、釘が分かる人材が 欲しい。 趣味がパチンコだった父親は 工芸品を作る職人をする傍ら、 手打ち時代のチューリップ機の パチンコで日々の食料品や 生活用品を稼いでました。 工芸品職人の給料だけでは なかなか生活が厳しい… 釘を見れるので趣味が高じて 先輩の眼鏡に敵い 屋台を任せられる… 更にそこからパチンコ店の釘師と そんな感じで自然と釘師として 腕一つで稼げる世界に 入って行った… との事です 私は最初はそんな父親が 調整した屋台の羽根物や チューリップ台で 遊ばせてもらったのが、 そもそもパチンコとの出会いと 言えるでしょう。 (当然、手打ちでなく電動ですが) さて、脱線から戻りますが 私が短大生の時に住んだ 都内某所はパチンコ激戦区! すでに時代はCR機が全盛で、 パチンコはサンキョーの 大ヤマトから、 ビスティのエヴァンゲリオン、 京楽は仕事人シリーズに ウルトラセブンと 本当の意味での爆裂機時代 真っ只中。 ですが、貧乏バイト学生 でしたので、 きちんと釘が見れれば稼げる 羽根物中心に遊ぶように なってました はい、父親の影響もですが 普通にパチンコ好きでしたので… ちなみに稼働機種ですが、 ニューギンのザンスシリーズ、 ダイイチのチョッキモン、 レレレにおまかせ。 サンキョーのマジカルカーペットに キングスター等々… 初代や2、リメイク物に 当時は羽根物の寿命が長くて どこのお店にも羽根物コーナーが あって、どこも大切に 扱っていましたね また今回は脱線含め、 長くなりましたが ここまでの更新とさせて 頂きます。 最後までの閲覧、 ありがとうございました[m(_ _)m] また時間の許す時に 筆を執りたいと思います。 おやすみなさい o(__*)