久しぶりに
釘師になったきっかけ、を
更新致します。
おかげさまで
お気に入りされてる方が
100を越えました
新たにお気に入りされた
皆さん、
いつも拍手、コメント下さる皆さん
ありがとうございます[m(_ _)m]
さて、前回の副題シェア、は
パチンコ屋の設置機種の内容を
シェア、と言う事を
説明致しました。
つまりは設置機種の割合を
業界ではシェアと言います
○○店はMAX機種が3割、
ミドルが4割、甘が3割で…
みたく表現します。
それは、そのまま各メーカーさんの
設置機種の割合にも
また表現しますね?
今回の半分、ですが
あまり意味は無く
半分就職、半分学生してた
短大生当時の生活を
振り返り副題としました。
(; ̄ー ̄A
はい、勘の鋭い方ならば
お察しの通りなんですが、
私は20歳を迎えて程なく
パチンコ業界へと
身を投じたのでした…
何故か?と言われると
やはりパチンコが
好き過ぎたのと、父親の
昔からの仕事を見ながら育った
幼少期からの憧れも
あったからに他なりません。
ただ、ここで断っておきますが
その考えが如何に甘く
人生を舐めていたのか?を
嫌と言う程味わう事と
なります…
父親が業界に精通してるので
その『ツテ』で楽にパチンコ業界と
関わり、そして気軽に
稼げるだろう♪
ん?親の七光り頼りか?
いかにも最近の若者の
考えそうな事だな〜?
ところが!です。
確かに父親は業界に口を
効いてくれましたが…
上京して学生やっとるんやけ、
そっちのパチンコ屋さんで
パチンコのイロハを勉強しろ!
そんで学校もちゃんと
講義こなして卒業しろ!
…というのが
父親が出した条件付きの
口効きだったのです
以降2年ほどは昼は学校、
夕方から深夜まで仕事の
半分ずつ生活が
スタートしたのでした。
(;>_<;)
正直な話、父親と同じ
釘師になる。
それには学校は中退して
父親に弟子入りし、
優しく釘を勉強させて
もらいつつ、
家に戻って楽に生活しながら
業界に入ろう♪
釘師が難しいなら
ホールのマネージャーでも
いいや♪
なんて簡単に
考えていたのです…!
最初は話が違うじゃない!?
とか思ったのですが、
私も親に似てるのが
一途で頑固者な所です
『やってやろうじゃない!』
と、この半分ずつ生活に
突入していった訳です。
さて、そんな所で
またまた長くなりましたので
続きはまた時間の取れる時に
筆を執りたいと思います。
最後までの閲覧、
ありがとうございました
おやすみなさい…
(´∇`)
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