●2005年頃 2004年7月。遊技機規則が改正し、業界史上最も愚かな「みなし機一斉撤去」が騒がれる事になってきます。 当時以前の規則は「3年の検定期間」があるものの、検定期間を過ぎても設置自体は可能(黙認?)でした。 新たな規則改正により、「3年の検定期間+認定3年」の最大6年が許される事になります。 その代わりとして、既に検定期間が過ぎている台(みなし機)に関しては全て撤去せよ。と規則で定めれる事に。 パチンコ・パチスロがそれまでの歴史を捨て去らなければならなくなってしまったのです。 確かに問題は多かったです。 一部の行きすぎた4号機、そして金銭感覚を失ったユーザーが社会的な問題にもなっていました。 このような事態を招いてしまったのは、求めてしまった我々ユーザー、与えてしまったメーカー、取り締まる行政。全てに落ち度があったと感じます。 それでも、ごく一部の台を除けば健全な遊技機でしたし、他に選択肢は無かったのかい? 何より「認定期間を過ぎたら強制撤去」なんてな非合理的な規則は未だに疑問と憤りしか浮かびません。 反発もあった事で期間が延ばし延ばしになったものの、最終的に2006年6月「みなし機撤去」として、既に検定が切れている機種たちは一斉に撤去される事となりました。 なんて虚しいんでしょう。 このみなし機撤去に関しては考えるだけで、未だにイライラしてしまいます。 この時期は「北斗の拳」や「吉宗」が全盛期になりつつありました。 この全盛期はあっちゃこっちゃでイベントなんぞをやっておりましてね。 探せば常に「設定6」が現実的に転がっているような状況でした。 おいらは設定狙いに関しては1店舗だけで打ってましたね。 設定の投入率で言えば繁華街の大型ホールの方が入っていたのですが、競争率が激しくなかなか掴めない。 それこそ当時は「並び順入場」が主流でしたから並べば良いんですけどね。 この頃には完全に怠けグセが染み付いていましたから、努力は出来ませんでした。 根本的には設定投入率なんてどうでもいいんです。 1台しか打てないのですから、自分が設定をツモれればそれで済む話。 郊外の穴場店で投入率は低くてもクセを掴んでツモる。そんな感じでした。 何より楽しいんですよ。考えて狙ってツモるのが。 今でもこの性分は染み付いていて、未だに駅前店や大型チェーン店ではほとんど打っていません。 個人的にはそっちの方が水に合うんですな。 おいらが決めたお店は北斗や吉宗と言ったメインどころ以外にもバラエティーが強かった。 対象機種がある日は1/3程度が設定56みたいな感じ。人も多くなく、設定投入パターンもある程度読めた感じです。 【昔は仲間が沢山いた】 通っていたお店はバイトしてた時の先輩がたまたま常連さんだったんですな。3年ぶり位に会ったんですが面倒見の良い先輩で、仲良くしてくれて。 その先輩経由ってのもあって他の常連さんともすぐに打ち解けました。 基本的に一人で打ってばっかりだったおいら。 ノリ打ちとかグループ打ちこそしませんでしたが、みんなでワイワイして打ったり、情報を共有したり。この時期は凄く楽しかったなぁ。 軍団ってほどじゃないけれどある種のコミュニティが出来ていて、他店から流れてくる人にはやりづらいお店でしたかね。 スロット生活者が今より圧倒的に多かった時代ですから、縄張り争い的な事もぼちぼちあったりなかったり。 先輩は「割と気合いの入ったワル」でしたから、つるむ人もワルが多かった。 中には「すげぇワル」もいて知り合いながら隣で打つのが怖かった。塀の中から出てきたてのSさん。 パチスロにテレビ(液晶のこと)が付いてるわ、携帯電話をみんな持ってるわカルチャーショックだったようで。 Sさんとの会話はとても書ける内容ではないのだけれども、シャバ僧だったおいらには凄く新鮮であり、凄く楽しかった。 世の中は広いようで狭い。Sさんから紹介された友人が、以前通っていたお店のプロであるOさんだった時は驚いた。 もっと驚いたのはあの優しいOさんが「極めてワル」だったって事だ。 Oさんとは2年ぶりの再開であった。