●2003頃 卒業後はバイトをしながらホールへ通う日々。この頃は爆裂AT機が最盛期の時ですね。「アラジン」「金太郎」「ミリオンゴッド」名だたる爆裂機が並んでいました。 この辺もちょこちょこ打ちました。今は凄い出るってイメージが一人歩きしてる感じがありますが、はっきり言ってすげぇ負けますから。 AT機って低設定だと物凄く負けます。 昔の解析を見たらわかりますが、低設定はほぼノーチャンスです。っていうのも当時のAT機って基本的にシンプルな抽選が多かったです。通常時もAT中も一緒の数値で抽選してるものが多いので設定が最重要でした。 今はAT中はほとんど設定差がなくなったり、別の抽選システムになってたりするものも多く、初当たりに設定差が大きいものが多い印象です。 この頃良く打っていたのが「大花火」です。まぁ説明は不要でしょう。 大花火自体は1999年のリリース。おいらが打ち始めた時は既に人気は下火だった頃です。それでも大花火がメイン機種のホールも多く、状況も凄く良かったです。人生初万枚を出したのもこの頃の大花火でした。 この時期は技術介入機・AT機・ストック機が並んでいたいわば「パチスロ黄金期」でした。もう何を打っても楽しいのですよ。好きな台を好きなように打っていたので、収支は当然マイナス。それでも楽しい時代でした。 この頃は「広告規制」がゆるゆるの時代ですから、あっちこっちでいろんなイベントがあったりしましたね。 オーソドックスな「設定札」や「クレオフ」イベント。「コスプレしてきたら抽選で高設定等」の奇抜なものもあったり、「設定123or456」とか当たり前じゃねーか!!と突っ込みたくなるような謎イベントまで千差万別、多種多様なイベントがありました。 とはいえ信頼度に関してはピンからキリまでありましたから、邪魔になる事もしばしば。この時期もおいらは負けておりました。 転機になったのは2003の夏。バイトを辞めてパチンコで喰う決意をする事になります。 「高設定を掴めば勝てる」って事は知っていたけど、「どうやったら掴めるか?」がわからなかった。そんな時期です。 まずはコツコツ勝つ事を目指しました。この頃は羽モノしか打ってません。「ビッグシューター」「プッチモン」「デビルマン倶楽部」「ワニざんす」この辺りの甘釘を朝から晩までひたすら打ち続けます。 基本的に3店舗を軸に打ってました。交換率は2.8〜3.3円でしたね。 この辺の交換率の甘釘にもなると見た目で判断する事が初心者でも容易く、勝率もケタ違いに高くなります。しっかりやれば素人でもめちゃくちゃ勝ちやすい時代です。基本的に粘れば勝てますから。今は等価交換が主流ですが、等価の感覚とちょっと違うんですよね。 毎日毎日朝からホールに通っていると自然と常連さんとも話すようになりました。インターネットなんかはまだまだ浸透してませんでしたから、常連さんの情報が今よりも重要な時代でしたね。 その常連さんのひとりから耳寄りな情報を聞く事になります。個人的にこの台がおいらに与えた影響は非常に大きく、この台に出会わなかったらここまでハマっていなかったかもしれません。 その台の名は「エキサイト」1992年の台で当時の時点で珍しい旧台でした。