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日記

ご挨拶

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P乃介さん

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私事ではありますが、11月17日(火)午前3時40分に、旦那の祖父が息を引きとりました。

ちょうど旦那が13日(金)と16日(月)に東京出張が入っており、13日から実家の埼玉に泊まり16日に帰って来る予定でした。

おじいちゃんは、間質性肺炎を患わせており、それに伴い肺癌を併発していました。

もう酸素注入の機械がないと、自分で呼吸する事が出来ない状態でした。

後で聞いた話ですが、お正月は家族で過ごせないかも?と医者から言われており、寒くなる前にと14日から15日にかけて1泊で外泊許可がおり、一時帰宅していました。

とりあえず、食に関しての規制はなかったので、旦那に『おじいちゃんに、◯◯◯の鰻を持ち帰りして食べさせてあげてね』と頼んでたら、なんと!

完食してくれたそうです!

そして、電話でお話しして、一時帰宅出来るくらいだから調子は悪くないんだと思ってました。

でも次の日、1時に家を出て病院に帰る予定でしたが、ちょうど1時前に急に容態が悪化し、救急車で病院まで搬送されました。

病院ではずっとベッドに寝てて、家ではやはりトイレまで歩いたり動作をするたびに、呼吸器系の病気なので肺に負担がかかってしまったらしいです。

15日にとりあえず救急車で運ばれてからは、落ち着いたから大丈夫と言われてましたが、16日に『すぐに埼玉に来て』と言われて、行きました。

夜の8時半に病院に着き、2人まで付き添いOKだったので、とりあえずお義母さんとあたしが病院に泊まる事になり、お義父さんと旦那は家に帰りました。

17日の午前0時頃、お義母さんが一言

『機械でなんとか生かされてるって感じよね?』

何も答える事が出来ませんでした。

あたしと同い年の義妹がいるんですけど、彼女は旦那の実の妹とは思えないくらい良い子なんだけど、彼女はおじいちゃん子。

でも、旦那の仕事の関係で今アメリカに住んでいます。

義妹にも連絡し、すぐに帰国となりましたが、どうしても着くのは17日の19時くらい。

午前3時頃容態が急変し、すぐに看護師さんを呼びに行きました。

とにかく大きな声でおじいちゃんに話しかけ、途中まではおじいちゃんも頷いたりしてましたが、急に反応がなくなり、最期は苦しまずに眠るように…

義妹が帰って来るまでは頑張ってほしいという願いも届かず、17日の午前3時40に帰らぬ人となってしまいました。

一時帰宅なんかしなければ、こんな急には亡くならなかったのにと言う方もいらっしゃいましたが、私達家族は、これで良かったと思ってます。

とにかく、おじいちゃんは家に帰りたかったんです。

だから例え1日でも帰宅出来て良かった。

最期に病院食ではなく、鰻を食べさせてあげれて良かった。

結婚式の時もハワイまで来てくれて、元気だったおじいちゃん。

何もしてあげられなかったけど、あの時家族全員でハワイに行き思い出が作れて良かった。

自己満足ですが、そう思っています。


そして、焼き場待ちの都合で、今日明日が式になります。

何も用意してなかったので、火曜の夜に大阪に戻り、今新幹線で東京へ向かっています。

ですので、16日からサイトは自粛させていただいております。

顔が見えないと、心配してくれた皆様、有難うございました。(^-^)

チラチラ見てはいますが、月曜日くらいまではサイトをお休みさせていただきますね。

そして板友をはじめ、お悔やみの言葉をかけて下さった皆様。

ありがとうございました(^-^)







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