何をするにも、めんどくさいことは付き物です。 どんなに興味のあることだって、慣れてしまえば面倒に感じたり、苦痛に感じることがあります。 それが良いとか悪いとかの話ではなく、人間だからしょうがないですね(笑) 人を動かす原動力は、『利益と恐怖』とはよく言ったもので、私にとって納得できることが非常に多いです。 しかし、私はこの2つ以外に、『喜び』という感情も原動力になり得て、しかもかなりの継続力を持つような気がします。 この喜びを利益と捉えるかはその人次第ですけど、少なくともマイナスの効果はあまりないように思えます。 これから書くことは、個人的意見であり、どう受けとるかは読んだ人に委ねますね(笑) あるところのある方にお子さんがいたとします。 親である方は、お子さんの行動にイラついたり悩んだりします。 この方に限らず思春期ともなれば、それなりに苦労してる方も多いと思います。 まず、親の最大の勘違いは、子供は親の操り人形じゃありません。 『言うことを聞かない』 当たり前です。 だから子供なんです(笑) 『遊んでばっかり、スマホばっかりいじって勉強をしない』 当たり前です。 目の前の楽しさがあれば良いという考えそのものが、子供である証拠じゃないんですか? 何事も自発的にやらないと身に付きませんし、何も覚えません。 何が大切で、何のために、何が出来るか? そして今、何をするべきか? これを理解することが第一歩です。 単に親が 勉強しなさい 苦労するのはあなただ と声を荒げたところで、 『またその言葉か...』 『うるさいな』 くらいにしか捉えないでしょうね(笑) 親が、 私が子供の頃はもっと勉強してた。 私の頃はこうだった。 と比較対象を出したところで、何の意味合いも感じないと思います。 なぜなら実感がないから。 なぜなら比較されても目に見えるメリット、デメリットが何もないから。 苦労すると一言で言っても、 『何がどうなって、結局どう苦労するのか?』 がわからない以上、目の前の楽しさに勝つほどの効果は無いと思います。 目に見える子供の楽しさの1つとして 『羨望の眼差しで注目される』があると思います。 これには、友達が多かったり、色々な物を持っていたり、特技があったりと様々で、その中で無意識のうちに『その注目を失いたくない』という自己防衛が働くと思ってます。 物集め然り、ゲーム然り、スマホ然りですね(^^; これ以上に、勉強という未来の見えないものにメリットを感じさせることができなければ、自己防衛を抑えてまで自発的に勉強することは相当難しいと思います。 難しく書いていますが、簡単な話です。 周りのみんなが勉強ばっかりすれば、我が子も勝手にします(笑) みんながやっているという一種の自己防衛ですから。 続きますね。