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日記

マザ-

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百連太郎さん

ブロガーランキング:-位
今はただ

たわいもない会話をして
穏やかに眠りたい



はたしてどこまでフィクションで
どこまでノンフィクションか


これを書くのは二十代後半の自分であり
自分のことを「僕」と呼ぶ


僕は海がこわい


今でも海岸沿いを車で走るだけでもこわいのだ

海の近くに住むことなんて考えられない


それはおそらく前世からの何か?
遺伝的な何か?


それでなくても
つねに何か暗い流れのようなものに飲み込まれるような



僕が生まれた時
おじいちゃんもおばあちゃんもいなかった


理由は知らない
戦争で亡くなったのか何なのかも


あとから聞くこともしなかった

興味がないのだ



幼少期の記憶は何ひとつない


僕の写真をさかのぼって見ると
笑っている写真がない


今でも心の底から笑うことはない


唯一笑っているのは
まだ赤ん坊の僕だけ



幼少期の記憶はないが
幼稚園の記憶が微かにある


時々暴れて手がつけられなくなり
女の子に怪我をさせたり


小学校に入っも僕は変わった子供だった


みんなと同じじゃなきゃイヤだっていうのが普通かも知れないが


僕は最初から
「みんなと同じなのはイヤだ」っていう子供だった


だから

お前変わってんなってイジメられることもあったが

もともと誰とも仲よくしようなんて思わなかった



クラス変えがあるとすぐに何人か暇つぶしに話せる友だちは作ったが

それ以上友だちの輪を広げることはしなかった


鬱陶しいのだ

人間が


僕はいつも天使と話していた

名前は「ピ-ター」


それは自分が勝手に作り出した人格では?


というと
辻仁成のピアニシモみたいな話になってしまうが


たしかに
ECHOESの歌詞と僕の書く歌詞は似ている部分もあるし


いや違う


勝手に作り出した人格もいろいろあるが

ピ-ターはほんとの天使だ


だけどいついなくなったんだか

小学校高学年の頃気がついたら

いなかった


クラスのやつに野球に誘われてもやらなかったり

チ-ムプレーとか
みんなで仲よくわいわいとか一致団結して何かをとか


大嫌いだった


給食のあと昼休みには
仲のいい友だち同士で縄跳びをやったりしていたが


当然そんな中にも入らない

かと思いきや


入るのだな


それは
その中に好きな女の子がいたから


ほんとは二人だけで遊びたかったが
なかなか二人だけにはなれなかった


そこらへんは普通かも知れない



僕が中学に入った頃


母さんは
どこかの若いツバメとデキて妊娠


そして離婚


そのあとのことは知らない

どこにいるのか今も生きているのかどうかすら



そんなことが思春期の多感な時期にどんな影響を及ぼしたかって?


いや
何とも思っていない


興味がないのだ


それにもともと母さんは

いたけどいなかった



その時母さんは三十代前半


僕が言うのもおかしいが
ちょっと美人だった


もともと見合い結婚で愛情もなく

父さんは仕事に一生懸命で母さんは寂しかったんだろう


一生懸命家族のために働いた結果家族はバラバラになる



母さんは若い時から夜の蝶であまり家にいなかった

いつもいろんな男のところにいたのかも



そんな時期に聞いたのが

ジョンレノンの「マザ-」


べつに
アーサーヤノフの原初療法を自ら行おうという気持ちもない


幼少期の抑圧された記憶を云々とかって


だから記憶がないのだから


それは自ら無意識に都合のわるいものに鍵をかけているのかも知れないけれど


それから中学では…


こんな変な話を連載できるだろうか??
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