とりしゅーです あなたは大人になってから 漏らしたことがありますか? もちろん、大きい方です 何が「もちろん」なのか わかりませんが… ビジネスで大成功している ある尊敬する方の話を聞いていたとき なぜかそういう話になりました で、その場にいた10数人の男女に、 「漏らしたことがあるか?」 と聞いてくるのです が、当然誰もが 「ない」と答えます するとその方は 「そんなはずないよ みんなカッコつけてるだけでしょ ボクは何度もありますよ」 「大人の半分くらいが漏らしたこと あるそうだから、ここにいる半数も 必ず漏らした経験があるはずでしょ!」 そんなアホな理論… イヤイヤ さすがにそれはないでしょ 私ないし するとなんとその方は 20代半ばの可愛い女の子に 「どうなの?正直に言ってみて?」 と迫り出します そりゃさすがに無茶でしょ 下手したらもう来ないですよ と思ってたら、その彼女が 「私あります」 と、 あるんかいっ! そしたら、今度は隣の男性に 「あなたはどうなんですか?」 と、 おいおい、 まさか全員に聞くんじゃ… しかし、最初の告白をしたのが 可愛いくて若い女の子 というのが強烈な引き金でした 恥という名のブロックを壊すには 十分なパワーを発揮したのです 彼女の魂のシェアに触発されて、 「私も!」「私もあります!」 と、どんどん告白が続きます 「でしょ?でしょ? みんなかっこつけてんじゃねーよ」 なにこれ? なにこの盛り上がり? あれ? よく考えたら私も トイレに間に合わなくて 「え~い、もういいや!」 と、 諦めて豪快に 塊としてやったことはないですが お腹の調子が悪くて 「はっ、今出ちゃったんじゃないか」 って感じでホントに「やっちゃってた」 ことは何度かありました え?何? それもアリなの? じゃ、私「ある」やん 子供が大人の階段をのぼる途中 ノックもせずに両親の部屋の扉を開け 見てはならないものを見てしまったのと まったく逆… 大人として 決して自分から開いてはいけない まさにパンドラの箱を 開けてしまったかのような 申し訳なさと罪悪感の入り混じった なんとも言えないやるせない氣持ち その氣持ちを押し殺して 無表情にパンツを洗いながら 頭の中ではタイムマシンに乗って 数十分前に時間旅行できれば と考えていました 「はいは~い、ありま~っす!」 あのときの一体感 大人として 越えてはいけない一線を越えた という仲間意識と一本の太い絆 まるで秘密結社やギャングが ある(主に犯罪的な)儀式を共有する ことで繋がりを強めるのに似ています そのときの、 「いや、僕も漏れそうになったことは あるんですけどね」 と言っていたヤツの 寒さと言ったらありません 羨ましそうな目でこっちを見てましたが 残念ながらこっちは大人としての 常識のラインを踏み越えてしまった “勇者”たちの集まり その儀式を通ることなく こっち側に来ることは許されないのです 童◯くんたちには 決して理解できない世界なのです ・・・ で、 先日ログで書いた 「回転数を数え続けましょう」 ってヤツですが だいたいの人は、 「数えた方がいいのはわかってるけど」 と言ってやらないです 数えることで何が得られるかも 知識では「知っている」 という人も中にはいます ただ、実践して 初めてわかることがあって 「知っている」と「実践している」では レベルがまったく違います 「漏れそう」と「漏らした」 くらい決定的な“差”があるのです パチの計算もそうで、 別に計算なんてしなくても勝てますが 計算すると理解度が全然違ってきます パチで計算して期待値を出したり 2000はまりとか、 甘デジで1000はまりとか 11ヶ月連続ヒキ負けとか 1ヶ月で理論値マイナス4万発とか 常識を疑い ホールを疑い 自分を疑い それでも強がって 拠り所を探して 自分を信じて そして信じた行動を続ける 笑ってはまりつつ 心の中では瞬間瞬間に 様々なドロドロとした感情が湧き出し 言葉にならない鬱積した想いと 楽しさという相反する感情が ごちゃまぜになりつつ 誰にも認められない、 理解されないという孤独を感じつつ 半ば諦め、 そんなものだと悟ったフリをしつつ 乗り越えていくのです そういうのを実際に経験して それからスロットを打つと “確率”に関する理解度が 全然違ってきます (なぜなら基本スロットは“結果”からの “推測”でほぼ正確な確率がわからない 状態で打ち続けるのに対し パチンコは全ての確率がわかった上で その通りにならないことを簡単に 体感できるからです) 実際、スロだけ打ってる方は 確率に関してはちょっと認識を 誤っていることもあります まぁ、誤解しててもやることやってたら 勝てるから問題ないんですけどね (多少損する行動はしてるでしょうが) とにかく頭でっかちにならず 実際に行動してみてください 1ヶ月だけ、とか 思うような結果が出るまでとか 決めてやってみたらいいと思います 「知ってる」「わかってる」は 成長の足枷にしかならないので とりしゅーでした