昨日の稼働報告もまだですが 今日は日記のほうを… 私は小さい頃から、父方の祖母と住んでいました。 3人兄弟の一番上なので、集団予防接種などは祖母が連れて行ってくれてました。 私は注射が大の苦手で、看護婦さんが消毒してくれる番になると 大泣きして吐きそうになるのです。 その度に祖母は一番後ろに 並び直してくれ、結局打つのは 一番最後 それでも、家に帰ると母に「ココアは強かったよ」と報告してくれるのです。 どんな時も私の味方のおばあちゃん……大好きでした。 96歳になった時にいつも元気だったおばあちゃんが寝てる事が多くなり、だんだんご飯も食べられなくなり入院することになりました。 高齢の為内臓が寿命だと言うことでした。 私は毎日お見舞いに行きましたが その度におばあちゃんは「早く楽になりたい」と私に言うのです。 「そんなこと言わないで 元気になって家に帰ろうよ」と励ましていました。 病院は自宅から3つ目の駅でしたが、毎日1時間以上かけて歩いて帰ってました。 おばあちゃんの前で泣けない分 帰り道はいつも泣いてましたから 電車に乗れないのです。 ある日、病院で母から「少し強いモルヒネを打つから、それを打ったら、体力のないおばあちゃんはもう目覚めないかもしれない」と言われました。 癌も少しあったので、お医者さんからの話もあり、痛みに苦しむ位ならと、父、母、伯父、叔母も苦渋の 決断をしたようでした。 それは十分わかっていましたし、それがおばあちゃんの願いでもあった それでも、二度とおばあちゃんと話せないかもしれないなんて… 悲しくて涙が止まりませんでした 96歳なら大往生ですよね でも、私はおばあちゃんはいつまでも元気でいてくれると信じてたんです。不思議と その日も泣いて歩いて帰り マイの前を通りました。 パチンコなんて全然してなかったのに、なんでこの日だけ入ろうと思ったのか… 不謹慎と思われるかもしれませんが、何も考えたくなかったんだと思います。 何の台に座ったのかも覚えていません… ただ人がいないところに座りました… すぐに当たりました。 でも嬉しくも楽しくもない 涙が出るだけ… そしたら、1人のおばちゃんが「どうしたの?辛いことでもあったの?」と声をかけてきてくれました。 私は涙が出るばかりで 答えることも出来ず 「この台あげる」と を飛び出しました。 それから、祖母は目覚めることなく、一週間後に亡くなりました。 おばあちゃんがこの世にもういないことがなかなか受け入れられず 泣いてばかりでしたが 半年以上経って、マイに行きました。 そしたら、あの時のおばちゃんが嬉しそうに私のそばに来て、封筒を渡してくれました。 あの時の台は3連チャンしたようで、その玉を換金したのと、残りのカードのお金でした。 私が来るかもわからないのに… 半年以上も その気持ちが嬉しくて また涙が出て来ました。 あの台はおばちゃんにあげたんだから、いらないよと言っても受け取ってくれません。 結局、半分ずつにしました。 次に会った時には野菜をくれました。 これが前にも出て来た 野菜をくれるおばちゃんなんです。 亡くなった祖母も野菜をたくさん作っていて、実家に行くと家計の足しになるからと食べきれない程、持たせてくれました。 だから、おばちゃんから野菜を貰うと、凄く嬉しいんです。 そして、敬老の日が近くなると、おばちゃんにいつもの野菜のお礼だよとプレゼントを渡すんです 「いつまでも元気で、一緒にパチンコ打とうね」と メーセージを添えて