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パチ&スロ

パチスロ潮干狩り vol.3

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アチオくんさん

ブロガーランキング:-位
つづき――。


念願の初出場を決め、日本全体がその聖戦へ向け大いに盛り上がっていたのが1998年の6月ーーそう、サッカーW杯フランス大会が開催されたその年その月。前回のVol.2で、私めとツレがホールで打っていたのは、まさに記念すべき日本の初戦の日だったのですな。


ツレは大のサッカーファンでしたので、テレビ中継の時間が迫ると見るからにソワソワし始めましてね、その理由を瞬時に察知した私は…



『日本がW杯の舞台で戦う姿は、もうこの先一生見られないかもしれないよね』



と、焦るツレの気持ちに拍車をかけるような言葉を、ビシビシ浴びせかけてたのを今でも鮮明に覚えています。・・・ホント、クズですな(苦笑)。


その甲斐あって(?)か、ツレはテレビ中継にギリギリ間に合うくらいの時間に、コンテストの『5』を捨て、『後はお前にやる!』と言い残してホールをあとに。


ツレから譲り受けた(?)コンテストが設定5だったのかを判別する技量と知識がなかったため、本当のところは分かりませんがね、その時はしっかり閉店まで打ちきって、3000枚くらいはお持ち帰れたと記憶しております。

さて――。 ここからは4年後のお話に移ります。 2002年――この時期のパチスロはストック&AT機ブームの真っ只中で、3円オーバーという驚異のコイン単価機種が続出しておりました。 当時、さりげなく大学生活を送っていた私は、時間と体力を法律を学ぶための勉学に・・・でワケはなく、パチスロ三昧な日々を送っており、ホールには毎日のように入り浸っていたおかげで、パチスロの知識や目押し技術もそれなりには発達し、収支のほうも毎月安定して『若干負けている』くらいに留められいたと思います(苦笑)。 そんなある日、通学途中のとあるホールで猛獣王を打っていた時のお話。 明らかな『ロク挙動』で昼過ぎくらいにはカチ盛り3箱ほどブッコ抜いていた・・・同じ大学らしき学生が私めの2つ隣に座っておりました。その学生はさほどパチスロに詳しそうな感じではなかったものの(そもそも学生ですから当たり前なんですけど:汗)、彼の打っているその台が最高設定であることは確信しているようでした。 しかしどうでしょう。何やらその学生はケータイで時間を確認しながらソワソワし始めたじゃないですか。そう・・・まるで4年前の私のツレを見ているかのような。 「まさかコヤツ…ヤメるのか!?」 その気をいち早く察知した私めは即座に彼の隣へ移動し、一挙手一投足をビタマーク。明らかに低設定であろうその猛獣さんに、ゆっくり、ゆっくりとマニーという名のエサを与えつつ、その学生の様子を窺うことに。 したらば案の定、苦悶の表情を浮かべて彼は去っていったじゃありませんかっ! しかもそれだけではありません! 大学からほど近いこのホール。当然、昼間の客層は学生たちで賑わっているのですが、猛獣王の彼が『ロク』を捨てたその時間帯に、他の学生たちもゾロゾロとホールを去っていくではあーりませんか。 で、この年。 日本全体が怒濤の勢いで盛り上がってた(と思う)サッカーの日韓W杯が開催された年でしてね、その日がまたもや日本戦だった・・・そういうオチなんですがね、まさに引き潮のごとくホールから客が去っていく光景を目の当たりにしたのは初めてでして、かなり衝撃的だったんですよね。 『猛獣王のロクを捨ててでもW杯(日本戦)が見たい』 そうなのか。日本って本当に愛国心の強い国なのね・・・。 まさにこの時、私の『パチスロ潮干狩り』が確立した瞬間だったワケですな。 (続く)
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