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パチンコ

「オカルト」を語ることは罪か…?

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だちくろさん

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古来、日本人は森の草木、水や土、火や石にまでも
「神」が宿ると信じてきました。


日本古来の
「八百万の神々」の宗教観です。


日本人は元来、謙虚でありながら、自由多彩な発想を持ち、そして寛大であったんですね~




と、何の脈絡もない前置きから書き始めましたが


少し前に、「ホルコ攻略」に関する書き込みが詐欺を助長するなどと言った一部の意見から

このサイトで「オカルト」を語ることがタブーのようになってきていますね。



僕個人としては、その流れに少し違和感を感じています。


オカルトでパチンコを勝つことを模索したり、共通のオカルトの話題で仲間と盛り上がったり

それは一つの「パチンコの楽しみ方」であっていいと思います。



そこに、オカルトには根拠が証明できないとか、詐欺を助長しているとか、

それが誰かの「パチンコの楽しみ方」を奪うことになってたら、そっちの方が罪じゃないのかな…?




これは、今日の世界情勢でもみられる
「民主化」だの「聖戦」だの、影響力のある奴等が出前勝手な正義感を振りかざして、
その結果、「罪のない人達」が犠牲になってるのと似ている気がします。



日本古来の八百万の神々が「多神教」であるのに対して、

「唯一神教」とは排他的な性格を持っているんですね~

まぁ、厳密にいうともっと政治的な要因が大きく関わってくるんですが・・・




話を戻して、

パチンコの「正論」であるボーダー理論を理解しても、それが万人に受け入れられる訳ではないのです。


逆に波読みやホルコで、自分なりに当たりを予想して、その行為自体を楽しんでるのであれば、それがその人の「パチンコの楽しみ方」なわけで、
それを誰かに否定されたくないだろうと思うわけです。


まぁ、なかには議論を交わして楽しもうぜ!みたいな人もいると思いますが…



パチンコに対する考え方、取り組み方は、人それぞれ違って当たり前で


ボーダーだろうがオカルトだろうが、優先順位が勝つことだろうが、楽しむことだろうが、4パチだろうが1パチだろうが


いろんな「個性」があっていいと思うんです。




かつて、自然に数多の神々を見た日本人のように、


自分の思いにだけ目を向けるのではなく、


パチンコだけに目を向けるのではなく、



自分を取り巻く多くのものに、敬意と感謝の気持ちが持てているか……





その問いかけを忘れないことが、


私がパチンコを打ち続けるための
『大前提』であると感じます。



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