記事詳細

パチンコ

パチンコ年代記(5)

79 0

百連太郎さん

ブロガーランキング:-位
これからは個人的主観とか交えずに
客観的史実を書いていこうかと思う


知っている人は読まなくてもいいものであり
勝つために役立つものでもない


知らないけれど興味があるという人は
読んで頂けたらありがたい



大ヒットした正村ゲ-ジの台は

当初玉を手で1発ずつ込めて打ち出す仕組み

これを
「単発式」と言う


その後

1952年
メーカー豊国遊機の菊山徳春氏考案による

皿に入れた玉を次々打ち出せる
「連発式」が登場


「連発式」と言っても当然手打ちである

ハンドルを引いた時すぐ次の玉がセットされ連続で打てるというだけで


当初の「連発式」は

上皿と下皿の役目が別で
賞球は下皿に出てくるから上皿に玉を上げる作業が必要だったが


1953年

正村商会の「連発式循環式オール15」は

竹屋の創業者である竹内幸平氏考案の循環式を採用


賞球が上皿に出てくるようになり
そのまま連続して打ち出し可能になる


それから

豊国遊機の「連発式オール20」などの連発式は

「機関銃式」とも呼ばれるようになり

大ブ-ムとなる


と同時に全国にパチンコ店が爆発的に増え
43000軒以上


そして

機関銃式はエスカレートする


1954年

竹内武次郎氏考案の「モーター式パチンコ」は


上皿に玉を入れておけば

お客さんはハンドルを持つこともなく
自動的に玉が発射され


1分間に200発の玉が飛ぶ

当時の貸し玉料金は1個2円


単純計算で
1分間400円というと

今も1玉4円として1分間100発の打ち出しだから

1分間400円で同じ


ところが

当時の大卒初任給は8000円程度

最近は…20万円くらいなのかな?


とするとその比較で

今なら1分間に約1万円くらいと思うと


これは大変ハイリスクなギャンブルであり


当然のようにパチンコに夢中になる人の中には


借金をしたり
離婚や家庭崩壊など社会問題も生じる


さらに

その頃すでに

出玉を特殊景品にに交換し
その特殊景品を現金化するという

いわゆる「三店方式」が確立されつつあったが


個人的に景品売買する買人が続出し問題化する


それから

パチンコ人気が高またったがゆえに

玉の供給が追いつかなくなり
不正なヤミ玉業者も出てくる


ヤミ玉は粗悪なものもあり
正規のパチンコ玉に比べ径数が小さいものも


そういう理由もあり

パチンコ玉に店名の刻印を入れようということにもなったようだ


そして

1954年秋に
「連発禁止令」が警察庁が出され

一時は「全面禁止」という危機も


最盛期には5万軒を越えていたともいわれるホールは次々に廃業

1956年には
1万軒くらいに激減


また

何百もあったといわれるメーカーも次々転業廃業するなど


とても厳しいパチンコ冬の…
いや氷河期に入る


ひょっとしたら

そのままパチンコは衰退して消えてなくなっていたかも


そんな危機は戦前からあったのだが


今もあり

これだけ発展してきたということは


それ以前にもその後にも

多くの人達が様々なことを考えたり苦労して作ったりとか


いろいろあったから

今日がある


その続きはまたいずれ…
このエントリーをはてなブックマークに追加
79

コメント

まだコメントがありません

パチンコ年代記(5)へのコメント本文(全角1000文字)

※ 投稿されたコメントがWEBに反映された際にメールにてご連絡致します。