みなさんこんばんは とりしゅーです 先日、私の大切な仲間の一人がある決断をし そして今日、新たなスタートを切りました その決断とは『パチを辞める』というものです 補足しますしますと、彼は仕事をしながら、確実に年間7桁の収支を出す実力を持っています そしてこれまで、準備を楽しみ、現場での試行錯誤を楽しみ、結果を楽しみ、成長を楽しみ、仲間との会話を楽しんでいました そんな彼が『お手上げ』と匙を投げてしまう… そんな彼が楽しめなくなってしまうような状況になっているという事 とても寂しく感じますし、残念に思います 地域によって違いがあると思いますが パチはホント終わってるなと思います 例えば、ある台を見て『打てるな』と判断するのは 回転だけではなく、技術介入や換金率、その他諸々全て込みのトータルでの話 これが止め打ちさえダメなんて話になると、当然条件が変わってきます ホント、捻りや止め打ち無しで回転だけで収支が上がる台を打つか ある程度容認してくれるで、注意されないようにビクビクしながら打つか そのどちらか 何でもそうですが、知ってしまったら知らない自分に戻る事はできません 勝つ方法がわかるという事は、何がダメかもわかるという事 わかっているのにできないというのは、実力があるほどストレスでしょう(思考をストップさせれば別) じゃ、止め打ちせんでも勝負できる台もいくらかでも用意しろよとなる パチは、色んな考え方があるでしょうが、ある意味お金が掛かっているから楽しい それはトータルで勝つ人も負ける人も そこに勝ち負けがあるのは紛れもない事実です そして勝てるようになったら、必ず時間あたりの収支や『労力を掛ける価値』を考えるようになる パチは確率ですし、出玉も決まってきますから 適切ではないですが、自給計算までできてしまいます 稼働に掛ける時間プラス、下見やまでの往復の時間、並びや知識を得る為に使う時間 それを人生における貴重な時間と交換して収支を得ている 収支は、パチの勝ちそのままでなく、情報料や交通費、飲食費を引いたもの それが『労力に見合わない』『掛ける価値がないかも知れない』となれば それだけでストレスだし、楽しめるはずがない もちろん、時間を削って更にマイナスになってしまう人が大半なのですが それは打つ事自体が娯楽という考え方だから正解なのです でも残念ながら勝つ事が前提なんていう、本来あるべきでない考え方になってしまうと ただ打つ事は無駄だし、楽しめるものではないのです 実際、ただ勝つだけならまだまだ簡単でしょう でもただ勝つだけで満足できるはずがないのです だから辞めるというのは、とても寂しい事ですが 辞めて人生の中に新たな物を取り入れるというなら、それは素晴らしいかな 今のパチに絶望して腹を立てて暗くなってしまうより数倍いいかな なんて思ってしまうのです 同様に 今、勝てるようになろうと努力している人が 勝つ事を諦めて、負けを適度に抑えて楽しむパチにする、と 自分をごまかさずに認めて選んだなら、そっちの方が素晴らしいかなと思うのです 2年前ならホントにどんな人でも勝てたから いやいや、それは単に逃げやで まだまだできる事あるよ、となっていたけど 2年前…… 勝つ事なんて楽勝だったなぁ 誰でも勝てると疑いも無く思っていました 鬼のようなはまりも、一日にどれだけ負けても 大抵気にする必要もなかったし平気だった また書けたら書いてみます とりしゅーでした