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日記

「そこに明日があるから…」⑤

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マユリンさん

ブロガーランキング:53位
あの日…


「パパゎ体だけゎ丈夫だから!」


笑って言ってた


あの夜の
精一杯の笑顔が
忘れられなぃ


それから


お父さんゎ
休みなく深夜遅くまで
働いてました


私もアパレル業の他


お仕事行く前の
早朝の2時間だけ
近所の喫茶店でバイト


お仕事後ゎ
ショットバー
深夜2時頃までバイト


他に
パーティコンパニオンなど


働いてました


だから
お父さんと顔合わせれるのゎ


お互いに
いつも朝方の3時過ぎだった


ほんの数分ほどの会話だけど



それがとっても
楽しい時間だったです



いつも
余分に作って
残った唐揚げ持って帰ってきて


「食べるか?美味しぃぞ」って


真夜中過ぎなのに
いつもそぅ言ってた


お父さん…



お母さんから
良く聞かされてました



お父さんゎ元ゎ
東京で中華料理の
料理人だった


そのお店で
出逢ったって



でも自分の体のせぃで
不便だから


お母さんの母親から
「近くに帰って来なさい」
って言われて


ふるさと捨てたらしい


お父さんにゎ
全く知らない地


ましてや
お母さんの身内の会社で
働いてました


どんなに肩身が狭かったかな


でもまた


好きだったお仕事に
また戻れて
ガンバってた



そんな日々が
3ヵ月ほど続いてた


なのに
いつもの朝方3時過ぎ
お父さんゎ帰って来なかった


携帯しても
つながらなかった



お仕事場で何かあったかな?
誰かといるのかな?


朝になっても
帰って来なかった


不安が走りました


その日気になり
バイトだけ休んで
家に帰ったら


電話が鳴りました



「〇〇さんが危篤です!
〇〇病院へ至急来て下さい!」


聞いた瞬間
心臓が止まりそうだった



慌てて
病院へ向かいました


お父さんがベットの上に
寝ていました


看護婦サンが
やっと連絡つきましたね!


お父さんゎ
バイクに乗って
バスに跳ねられて


脳外科からこちらに
運ばれました


意識がまだ戻ってなぃけど
頭の方ゎ大丈夫ですょ!


後から
聞かされたけど


事故ぉ見た人達が
みんな死んだって
思うくらいの事故だったって


奇跡だったって


ムリにムリして
睡眠もほとんど取らず


そして
料理だけぢゃなく


歩合が付くから
出前までしてた事


私ゎ知らなかった



お母さんの体のために
自分のふるさと捨てて


畑違いのお仕事して
ガンバって


なのに人に騙され
会社も居れなくなって


やっと前向きに
1からまたガンバる途中
だったのに


何で…、


目ぉ覚まして
お父さん!


「私ゎずっと側にいるから!」



意識不明が
5日続きました


そして


やっと
お父さんが目ぉ開けました


「…、マ〇?マ〇ちゃんか…、」


嬉しかった!


神さま!ありがとう!


私ゎ

「うん!マ〇だょ!わかる?」


お父さんゎ


「わかるょパパゎどぅした?」


私の事ゎわかるけど


お父さんゎ少し
記憶がなくなってました


「バスに跳ねられて大変だったょ」

って言うと


「そぅか…、事故したか…」って



ゆっくりゆっくり
徐々に思い出しながら


足にかなりの負傷で
歩けなかった


辛いリハビリしながら
数ヵ月経ちました


やっと退院できるよぅに
なりました



事故の事ぉ思い出してゎ
言ってました


「生きてる事が奇跡だょ!」


って言ってたのに

なのに…


「そこに明日があるから…」⑥へ



明日も寒いですが暖かくして休んでねo^-^o)
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