最愛なる祖父が14日の夜旅立ちました。 ナースコールをすることもなく苦しまず、静かに心配停止という最期でした。 あたしは幼い頃に母が離婚して仕事の都合上祖父母に預けられ7歳まで祖父母に育てられました。 母と離れて暮らした間、祖父母がいたから寂しくなかった。 陽気で優しく時には厳しく…父のいなくなったあたしには父親代わりのじぃちゃん。 両親よりも長い時間を共にしたじぃちゃん。 11月に入院してからは毎週末顔を見に行き、この日曜日は一人でじぃちゃんのところへ。 虫の知らせでしょうか? なぜか帰りたくなくて夕方までじぃちゃんの側にいたあたし。 帰りに『また来るね。バイバイ』と手を振ると振り返してくれたじぃちゃん。 それがあたしの見た最期のじぃちゃんになるなんて。 翌日の夜…珍しく旦那は早く帰宅してご飯も終わり片付けをしているところに父から心配停止との電話が。 後から聞けば父も珍しく残業を早めに切り上げて帰っていたみたいで。 父は毎晩晩酌をするんだけどお酒をグラスに注いだ時に病院からの連絡だったようで、きっと呑む前にじぃちゃんが呼んだのでしょう。 病院に着いたのはあたしが一番でした。 まだ温かいじぃちゃんが…目を開けない 呼んでも呼んでも起きてくれない ピーという悲しい音だけしか聞こえない… 『じぃちゃん…あたしまだ心の準備できてない。待ってよ…みんなもうすぐ来るから…あと少しでいいから待ってよ…』 でも、準備なんていつまで経ってもできないことをわかってるじぃちゃんはそのまま帰らぬ人になりました。 今日…最期のお別れをして小さい箱に入ってじぃちゃんは帰って来ました。 40歳を過ぎた孫なのに声を上げて泣いたことじぃちゃんは許してくれるかな あたしの40年間のありがとう…届いたかな? 並んでパチンコしたことばぁちゃんには内緒の約束は守るからね。 帰宅する車中にばぁちゃんに言いました 『あたし…思った以上に辛かった…だからばぁちゃん、すぐに逝かないでね。あたしの心臓が破れるからばぁちゃんは後5年は空けてよね。』と。 笑って 『後10年は生きてやる』 と笑って言ってくれたばぁちゃんに少し救われたあたし。 じぃちゃんはあたしの中でずっといるから。 ※コメント返せそうにもないから閉じさせて下さい。しんみりした日記でごめんね。
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日記
14日…旅立ちました
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蒼空ままさん
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