人類の歴史は争いの歴史といって良い。 有史以来、地球上のどこかで必ず紛争、戦争が起きている。 日本だけで言えば約70年、戦争とは離れているが、もっと狭い範囲では日々争いが起きている。 家庭内でさえ起こる事があるのだから、もはや人は争うために生まれたのではないかと疑いたくなる。 ただ自分目線では争いに巻き込まれる事も争いを起こす事もない平和な日々だとは思ってますが。 ただ、自分の一言が自分ではそういうつもりはなくとも、相手には不快感を与えている事もなくはないでしょう。 そういう意味では相手次第では争いに発展する可能性はあるのです。 顔の見えないネット上では現実以上に火種は多い。 匿名という仮想空間の中では言いたい事を言いやすいし、現実では見てみぬ振りの人も発言しやすい。 当人同士では分かり合えて収束したと思ってみても、外野の一言で再燃したり。 仮に自分と全く同じ思考を持った人しかいなかったとしても、多分争いは起こる。 それは人間の欲が深いとか思考が深いとかの問題だけでもなく、あらゆる生物の中でも起きている事なのです。 ある意味、増えすぎないようにあらかじめプログラムされているのではないかと思える程に、争いは起きる。 仮に争いが全くなければ、人間も動物も昆虫も飽和するまで増えてしまうので。 争いは起きるもの。 自分は被害者にも加害者にもなりたくないと思っている人が大多数なのに、争いは絶え間なく起きる。 そのうち大きな争いが起きて気付くのです。 何でこんな小さな事で争っていたのだろうと。 そして気付くのです。 争う事で失う物の大きさに。 時間は色々なものを解決してくるけれど、色々なものを複雑にもする。 後悔は少なめに生きたいものですね。