ある人は言う。 パチンコ、パチスロはギャンブルではなく、必ず勝てると。 ある人は言う。 パチンコ、パチスロは運ゲー、ギャンブル以外の何物でもないと。 ある人は言う。 パチンコは台の波を読めれば連チャンも簡単だと。 うん、まぁどれでもいいですよっと。 台の波も長い収束の過程の一つと捉えればあながち軽率な考えとは言えないし。 性悪説で言えば絶対にない!とは言えないですしね(にやり まぁ個人的にはなしですけど(ばっさり そしてパチンコ、パチスロは勝てるという意見には賛同出来ても、ギャンブルじゃないという意見には賛同出来ない。 なら、パチンコ、パチスロは運ゲーかと言われたら、そういう場合もあると思う。 期待値云々は基本的に稼働を取れる前提の話で、稼働が取れなければ、期待値の前提は変わってくるので。 確率は収束するものだし、期待値も何れはその値に収束していく。 だけどそこに収束するには前提条件がある。 例えば、何万回転とか何万ゲームとか。 そもそも台の入れ換わりが激しい昨今で、それだけの稼働が取れるかって話もあるし、仮に期待値を一括りにして、機種問わずとした場合でも、やはりそれなりの稼働が取れなければ、理論値には収束しない。 という理屈も分かる(ぇ 例えば日々の稼働は取れなくても、この先の生涯稼働を含めたらそれなりの稼働になるのであれば、まずは期待値を意識するべきでしょう。 しかし、確率は収束するが運は発散するとも言われる。 これは本来サイコロを振るだけのゲームであれば試行回数を増やせば増やす程、プレイヤーは横並びになるはず。 しかし、ある要素が加わるだけで試行回数を増やせば増やす程、トップと最下位の差は開いていく。 というもの。 そのある要素が運なんですね。 例えば人生ゲームなんかがそう。 理論的にはサイコロを振れば振るほど差はなくなるはずなのに、何故か差が開いていく。 まぁ戦略的な要素も否めないけれど、同じ条件でも何故か同じにならない。 そこが運という、理論的には説明出来ない要素。 だから稼働が取れようとも、期待値が収束するとは限らない。という意見も分かる(ぁ 結局、どれが正解とかはなくて、それぞれの持論があるのです。 そしてそういう持論がたくさんあるから面白いのです。 特にこの分野は(にやり