サイコロを毎日30回振る。 仮に6の目を当たりとして、毎日6が出た回数をカウントする。 一年続ければ大体平均の5回に近づいているはず。 これが期待値だったり、確率の収束だったりと呼ばれるもの。 ただ一日一日で見たら、一日に10回6が出る日もあれば、一回も出ない日もある。 これが、確率の偏り、個人的には引きと呼んでいる。 間違えてはいけないのが、引きは試行回数が理論的に満たない場合の短絡的な表現で、根底には確率統計学に裏付けされた、標準偏差や収束といった定量的な理屈が成り立っていると認識していること。 サイコロなんて誤差なく作られる訳がないのだから出やすい目がある。 だとか、振り方や最初の位置の違いである程度出やすい目を調整出来る。 などと言った屁理屈(オカルト)は抜きにして、理論上だけで語ると、引きというのはただの短絡的な事象の一つに過ぎない。 パチンコに置き換えてみる。 確率1/400で初当たり一回あたり平均6000発取れる台があるとする。 単純計算で等価なら17回/K回れば、確率通り引ければぎりぎりプラスという計算。 当然、確率通り、事が運ぶなんて事はないのだから、引きという概念が出てくる。 そもそも個人的には収束の最低ラインは分母の30倍は試行が必要。 1/400なら初当たりの収束が見えてくるには12000回転(通常状態)は必要。 さらに80%継続(平均5連)なら150回の当たりが必要(確変込み)。 さらにラウンド振り分けも… というとキリがない。 ちなみに初当たりも12000回転ごときじゃ多分まだ粗い。 なので収束は気付いたらしてるものとしか思わないようにしている。 んでその過程に引き(偏り)がある。 そこで大前提がある。 まず、確率通りに引けたら…という話。 そして長い期間打てば収束していくという話。 大前提は確率通りに引けたら勝てるという話なんです。 という訳なので確率通り引ければ勝てる回転率自体が守れなければ、負に収束していくという話。 一日一日で見たら、回転率には左右されずに大勝ちする事もあるだろうけど、向かう(収束する)先は… ちなみにもう一つの大前提。 サイコロの出来だとか、投げ方だとかにケチをつける人には通じない話なので、あしからず(にやり