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日記

夏予選大会個人戦

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秩父連山さん

ブロガーランキング:57位
自分達の学校では、各予選大会前に、みんなで総当たりの試合をします。自分達3年生は部員4名でした。総当たりの結果を参考にして、選手を選出するのですが、経緯を書きます。

自分が1年生だった時は、3年生4名、2年生は11名 、そして1年生4名でした。自分が1年生の時には、4名で大会出場可能でした。1番手、2番手、3番手ダブルスは1番手と2番手の選手で組む事が出来ました。4番手、5番手となっていました。ですから3年生は、2年生に選手を出させなかった、この時は顧問の先生の他に、あるコーチが来ていて、そのコーチの考えだったのかも、その時はそう考えました。そして3年生の夏予選大会が終了後ルールが改正になり、2年生の新人予選大会からは、シングルス出場選手はダブルスを組めなくなりました。従って大会出場は6名になりました。2年生は総当たりで選手を選出していました。そして先輩方が抜けて、自分達の番になりました。

自分達の時には、諸事情により顧問の先生がコーチを断りました。
先生は前の経緯があるので、自分達4名は総当たり成績が悪くても、シングルスとして選手選出させると決めていたのかな、そんな感じでした。夏の予選大会前には、1年下のダブルス組んでいた後輩の2名、実際の所、1名は自分達の中で一番強かったです。自分が3年生になってから、勝利した事はありませんでした。
個人戦に関しては、先生が一番強かったダブルスの後輩を1名、そして自分達3年生から1名選出しました。団体戦ダブルスの選手を個人戦で出場させました。結果この後輩は個人戦3回戦まで勝ち進み、準決勝で団体戦優勝の第1シード校、2番手選手(自分が団体戦で戦った相手) に敗れて3位でしたが、自分よりも遥かに得点を上げていました。優勝は第1シード校1番手選手、準優勝は第1シード校2番手選手でした。3位に自分の学校の後輩、もう一名が第2シード校を2回戦であと一歩まで追い詰めた学校の選手でした。
ちなみにこの後輩は翌年の夏の郡市内予選大会個人戦では、見事優勝しました。
色々書いてきました。夏の予選大会で、団体戦 書いたように 15対20 から 7点連続得点  22対20 、予選大会なので大した大会ではありませが、顧問の先生がこの事を自分達に教訓として、諦めないで前を進んでいくように、大会終了後そう話しをしました。自分はあの逆転劇が一番印象に残っています。自分達の団体戦に関しては、先輩として先生が考慮してくれたのかな、試合の勝負なので難しい所ではありますが、そう感じました。長きに渡り読んでくださりありがとうございました。
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コメント

  • 1. 秩父連山さん 秩父連山さん
    ダブルスは後輩同級生でした。一名シングルスに移動させると、先輩 後輩 の組みになってしまい、後輩が萎縮してしまい、うまく力を引き出せないのでは、先生にはそういう思惑もあったとおもいます。

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