加藤和彦が北山修に 「うつなんだよね」と電話で 北山修は精神科医であり フォーククルセダ-ズ時代からの加藤和彦とは古い戦友だが 助けられない 5年前の今日 どこまでケーキを食べに行ってしまったか もう帰らない 自分にとって洋楽の神的存在と言えばビ-トルズだが 日本でそれに匹敵するのは 加藤和彦しかいない 最初にフォークルの「帰ってきたヨッパライ」を聞いた時の印象は なんじゃこりゃ〜?! まぁ ビ-トルズを初めて聞いた時も「なんじゃこりゃ〜?!」 と思ったが その後 「悲しくやりきれない」 「あの素晴らしい愛をもう一度」 それから ベッツィ&クリスに作った 「白い色は恋人の色」など 歌詞とメロディラインの美しさ音楽センスの高さ それからあの独特の震えるような歌声に完全に引き込まれた 加藤和彦はスラッと細身で背が高く甘いマスク 女の子からキャーキャー言われる存在でもあった いつもオシャレでいて 時代の先を読み他の人とは違うものを見ていたのだろう サディスティックミカバンドは最初 つのだ☆ひろ(メリージェーンの)とミカと加藤和彦の3人で始めたが 後に高橋ユキヒロや高中正義や後藤次利など若手ミュージシャンを加入させる あ ロックファンなら常識問題だが サディスティックミカバンドとは ジョンレノンとオノヨーコのプラスティックオノバンドをもじったものであり それと ミカの包丁使いがサディスティックだったからとも(笑) そして 日本のロックバンドとして初の海外レコーディング&ツアー(ロキシーミュージックのオープニングアクトという形だが) ところがそこで ミカとプロデューサーのクリストーマス(ビ-トルズやピンクフロイドも手がけた)がいい仲になってしまい 後に加藤和彦とミカは離婚することになり バンドは解散 というか 残りのメンバ-でサディスティックスとして活動 後に 高橋ユキヒロはYMO 高中正義はソロで成功 後藤次利は1980年代歌謡曲の大ヒットメーカーとなる その他加藤和彦のキャリアや影響力などを 吉田拓郎の「結婚しようよ」や 泉谷しげるの「春夏秋冬」とか アレンジやプロデュースなど手がけ 拓郎も泉谷もその際 加藤和彦のギター奏法やアレンジのアイデアなどに驚愕して一目おく存在に 井上陽水は売れなかったアンドレカンドレ時代 加藤和彦に曲作りを依頼 小田和正は 加藤和彦がベッツィ&クリスに作った「白い色は恋人の色」の次に作った「花のように」を聞いてオフコースを始める それから… 南こうせつもフォークルを見て「自分もやろう」と思い かぐや姫を結成 とか いろいろあるのだ あと アグネスチャンの「妖精の詩」などアイドルたちにその手のミュージシャンが曲を書く走り的存在でもあった ちょっと話が長くなりそうだから 続けようか
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日記
世界で一番美味しいケーキを食べた男(1)
32
百連太郎さん
ブロガーランキング:-位