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日記

世界で一番美味しいケーキを食べた男(1)

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百連太郎さん

ブロガーランキング:-位
加藤和彦が北山修に
「うつなんだよね」と電話で


北山修は精神科医であり
フォーククルセダ-ズ時代からの加藤和彦とは古い戦友だが


助けられない


5年前の今日
どこまでケーキを食べに行ってしまったか


もう帰らない



自分にとって洋楽の神的存在と言えばビ-トルズだが

日本でそれに匹敵するのは
加藤和彦しかいない


最初にフォークルの「帰ってきたヨッパライ」を聞いた時の印象は

なんじゃこりゃ〜?!


まぁ
ビ-トルズを初めて聞いた時も「なんじゃこりゃ〜?!」

と思ったが


その後
「悲しくやりきれない」
「あの素晴らしい愛をもう一度」

それから
ベッツィ&クリスに作った
「白い色は恋人の色」など


歌詞とメロディラインの美しさ音楽センスの高さ
それからあの独特の震えるような歌声に完全に引き込まれた


加藤和彦はスラッと細身で背が高く甘いマスク

女の子からキャーキャー言われる存在でもあった


いつもオシャレでいて
時代の先を読み他の人とは違うものを見ていたのだろう



サディスティックミカバンドは最初
つのだ☆ひろ(メリージェーンの)とミカと加藤和彦の3人で始めたが


後に高橋ユキヒロや高中正義や後藤次利など若手ミュージシャンを加入させる


あ
ロックファンなら常識問題だが

サディスティックミカバンドとは
ジョンレノンとオノヨーコのプラスティックオノバンドをもじったものであり


それと
ミカの包丁使いがサディスティックだったからとも(笑)



そして
日本のロックバンドとして初の海外レコーディング&ツアー(ロキシーミュージックのオープニングアクトという形だが)


ところがそこで
ミカとプロデューサーのクリストーマス(ビ-トルズやピンクフロイドも手がけた)がいい仲になってしまい


後に加藤和彦とミカは離婚することになり
バンドは解散


というか
残りのメンバ-でサディスティックスとして活動


後に
高橋ユキヒロはYMO
高中正義はソロで成功
後藤次利は1980年代歌謡曲の大ヒットメーカーとなる


その他加藤和彦のキャリアや影響力などを


吉田拓郎の「結婚しようよ」や
泉谷しげるの「春夏秋冬」とか
アレンジやプロデュースなど手がけ

拓郎も泉谷もその際
加藤和彦のギター奏法やアレンジのアイデアなどに驚愕して一目おく存在に


井上陽水は売れなかったアンドレカンドレ時代
加藤和彦に曲作りを依頼


小田和正は
加藤和彦がベッツィ&クリスに作った「白い色は恋人の色」の次に作った「花のように」を聞いてオフコースを始める


それから…
南こうせつもフォークルを見て「自分もやろう」と思い
かぐや姫を結成

とか
いろいろあるのだ


あと

アグネスチャンの「妖精の詩」などアイドルたちにその手のミュージシャンが曲を書く走り的存在でもあった


ちょっと話が長くなりそうだから

続けようか
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