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パチンコ

パチンコ年代記(11)

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百連太郎さん

ブロガーランキング:-位
やはり飛んだか


さてと

昨日いや一昨日の続きだが


スペ-スインベ-ダ-ブ-ムでパチンコ業界も苦境に立たされ…
というところまで書いたかな


たしかに

その影響で特に若い男性ファンのパチンコ離れが目立ったようだ



実際自分もその頃
パチンコにはいっさい目もくれず

逆にインベ-ダ-ゲ-ムは毎日やっていた


猫も杓子もインベ-ダ-?
みたいな感じだったが

実際に猫ちゃんがインベ-ダ-をやってはいなかったと思う(笑)



パチンコが再び衰退の一途をたどるのでは…
と危惧され

その打開策としては


「フィーバ-」
って前回書いてしまっているな


それと
ファン感謝デ-っていうのも

インベ-ダ-ブ-ムの影響でお客さんが減ったため
なんとかしてまたパチンコファン獲得を
という感じだったのかな



ところで

ここからはとても書きづらい


なぜなら

そんなに大昔のことなら実際にその時代に打っていた人はほとんどいないだろうが


ここから先はどんどんと
その頃打っていた人達が増えてくると思うから


逆に自分は
ここから10年くらい全くパチンコを打っていないわけで


実際に当時よく打ってた人のが詳しいよね?

とか思ってしまうからだけど



1980年
尚球社からパチスロ「パルサー」が登場

あれ?
また横道に逸れてしまったが


それまでのアップライト型と呼ばれる縦型の大きなものから

パチンコの島にも置けるようサイズを小さくした

この機種が
いわゆるパチスロ第1号だったかな



話をパチンコに戻して


前回書いた三共「ブレンド」の他にも
京楽の「UFO」平和の「メテオ」などインベ-ダ-を意識した特別電役搭載機(略して特電機)があったが


1980年
三共「フィーバ-」登場

「ブレンド」を改良したマシンだが


ドラム式ルーレットに太陽図柄が揃い
さらにデジタルに7が止まれば大当たり

アタッカーが30秒開くがVゾ-ンに入賞すればアタッカー開放が繰り返され
ほとんど青天井の出玉を獲得できるという過激性

そのゲ-ム性は
もともと「ブレンド」発表後に同社スタッフがたまたま壊れて開きっぱなしになったチューリップをヒントに考えたものだが


発表当初は出玉が過激すぎるということで
敬遠するホールがほとんど


それから半年たった頃
新潟のとあるホールが123台導入


そのホールはホールコンピュータメーカー「エース電研」の直営店舗でもあったため

導入時の出玉デ-タや人気ぶりが全国のホールに広まると同時に


大量出玉時代に対応するホールコンピュータの営業にも弾みをつけることとなる


こうして
1980年代フィーバ-の時代が始まるのだが


ちなみに

「フィーバ-」というのは
その少し前に大ヒットした映画「サタデ-ナイトフィーバ-」から生まれた熱狂する様を表現した「フィーバ-する」という流行語から付けられた


フィーバ-タイプは当時「超特電機」と総称されたが


他にも

平和の「ブラボ-」も当時ヒットした超特電機



しかし

やはりというか

時代は繰り返すというか


過激な出玉で人気になるのはいいが
ギャンブル性の高さが問題視され様々な規制がすぐに入ることに



う〜ん
そんなに細かく書いていたら時代が進まないと思っているのに

ついつい書いてしまって…


まぁ
これはこれでいいか


フィーバ-の話もまだ終わらないけど


続きはまた
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