今日は久々に高校の友達と飲めて、色々音信不通の人達のその後が聞けて良かったです。 音信不通なのは自分なんですがね(ぁ 転勤族故、高校卒業後に実家が県外に移ったため、自然と音信不通になってしまう。 高校時代の友人達のその後が聞けるのは何だかんだで有意義でした。 何人か電話で話したけど全然変わってないのはある意味安心だったし、自分もキャラが変わってないのに安心しました←こればっかりは自分では気付けないので ラプラスの悪魔という言葉がある。 これは原子の動きが完全に把握出来れば、この先の事象は全て予測可能…つまり全智の神にもなれる…というものを表した言葉。 原理的にそれは不可能と証明されているけど、個人的にはラプラスの悪魔という響きは好きな言葉ではあります。 ラプラスの悪魔がいたとしても、僕の未来は誰にも分かるはずがないし、予測された未来を歩むつもりはない。 現在、当時高校生だった自分達の未来がその時描いていた未来通りかと言えば、確実に違うだろう。 そもそも明確な未来像を描いていたかさえ、今となっては曖昧だけど。 少なくとも幸せか不幸せかは置いといても、今日聞いた限りではみんな今も人生を歩んでいて、それなりの人生を進んでいる。 生きてさえいれば人生は続くし、この先、自分の人生とは交わらなくとも、それぞれの人生が進んでいく。 今日飲んだ友人も、電話で話した友人達も、この先、自分の人生にどう関わっていくかは分からない。 だけど、あの時、時間を共有した仲間はそれぞれの人生を進み、自分もまた自分の人生を進んでいる。 この先、どんな人生が待っているかはラプラスの悪魔でさえ、予測は出来ないだろう。 ただし、その結果を知れるのはラプラスの悪魔でも神様でもなく、自分自身のみだという事は紛れもない事実。 生きる事さえ困難な人がいる。 それでも自分はそういう痛みは知らずに生きていく。 そんな自分の心の内など、ラプラスの悪魔は気にさえしない。 そして、地球は構わず回っていくのです。