多くの命を奪いながら人は生きている。 自分の命と引き換えに他者(動植物)の命を奪うのだ。 時には人の命と引き換えに生かされる事もある。 科学や医学の発展は少なからず人命を犠牲にしているものなのだ。 では自分の命と引き換えに他者の命を救えるかどうか。 今なら嫁や子供がそれで救われるならそれもいいかなと思えてしまう。 決して安易に語れるものではないのだけど。 少しレベルを下げて考えてみようか。 何かを犠牲にして何かを得る話を。 例えば、結婚を機に今まではなかった価値観が得られた。 子供もそうだが、守るものを得た。 しかし守るものを得た事で自分の時間は犠牲にしていると思う。 とは言え、犠牲にしているのはパチンコの時間くらいなものだけど(ぁ そして今日、明日の休日を犠牲にするつもりである。 休日を犠牲にして仕事をする訳だが、本質は違う。 休日を犠牲にして、明日働く代わりに今日打つ時間を得たのである(にやり いや、もっと本質を突くと、明日の休日と引き換えに代休も得るのである。 当然、代休は使う権利がある訳で、どこか平日で代休を使う事になる訳である。 当然、嫁にはそれは内緒にする訳だから、平日一回自由に打てる訳である。 という事は明日の休日を犠牲にした事で、今日と代休分の打てる時間を得た訳である。 おぉ、何て素晴らしいシステムだ。 という訳で明日は休日出勤になりましたが、得た魚は大きいです(にやり