男の背中(昔の大相撲)
秩父連山さん
自分が小学生だった頃、昭和50年くらいから、二代目横綱貴乃花、22回目の優勝、平成13年夏場所、平成13年5月27日 今から10年くらい前までの大相撲について語ります。
男の背中(昔の大相撲)
自分が小学生だった頃、昭和50年くらいから、二代目横綱貴乃花、22回目の優勝、平成13年夏場所、平成13年5月27日 今から10年くらい前までの大相撲について語ります。
貴花田は、昭和63年春場所初土俵でした。平成元年九州場所、新十両、平成2年春場所、新入幕しました。自分が記憶している、平成3年春場所から、横綱昇進をきめる、平成6年九州場所までの成績が次のようになっています。なお、自分の記憶なので、成績が違っているかもしれませんが、ご了承ください。 平成3年春 12勝3敗 夏 9勝6敗 名 11勝4敗 秋 7勝8敗 九 7勝8敗 平成4年初 14勝1敗 優勝 春 5勝10敗 夏 9勝6敗 名 8勝7敗 秋 14勝1敗優勝2 九 10勝5敗 平成5年初 11勝4敗 春 10勝5敗大関 夏 14勝1敗優勝3 名 13勝2敗 秋 12勝3敗 九 7勝8敗 平成6年初 14勝1敗優勝4 春 11勝4敗 夏 14勝1敗優勝5 名 11勝4敗 秋 15戦全勝優勝6 九 15戦全勝優勝7
イ ラ _______ ン /⌒\注文の多い カ Γ ̄|▽▼▽▼▽ エ | | |∧ ∧ | _ (・ω・`)-|――、 | o―o- ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ) ) | し⌒ヽ)⊥―◎――◎
この日は、家族で大相撲をみていました。貴花田は、三杉里との大一番で見事勝利して、14勝1敗の成績で 初優勝を飾りましたね。三賞の 殊勲賞 敢闘賞 技能賞 すべて獲得したとおもいます。優勝旗を二子山理事長が、甥の貴花田に手渡す時、涙を浮かべていたのが印象的でしたね。この後は貴花田が大関、そして横綱に駆け上がるまでを書いていき、その後に、自分が子供の頃の大相撲の思い出を書いていこうとおもいます。
貴花田は、秋場所、九州場所ともに7勝8敗と負け越して、平成4年初場所は、番付が確か前頭2枚目でした。平成4年1月26日 初場所千秋楽 貴花田は14日までの成績が13勝1敗でした。それを確か小結曙が12勝2敗で追っていたとおもいます。自分はパチンコ店に朝から行っていましたが、午後4時には止めて、家に帰ってきて大相撲を観戦しました。貴花田の相手は二子山部屋の三杉里でした。貴花田は、三杉里を苦手にしていて、対戦成績がよくなかったとおもいます。この場所が終わったら、二子山親方の定年で、二子山部屋は藤島部屋に合併されることが決まっていました。だから自分としては、何としても三杉里に勝利して欲しいな、そうおもっていました。
平成3年5月12日 夏場所初日 東前頭筆頭まで番付を上げた貴花田は、横綱千代の富士と対戦しました。そして見事に横綱に勝利しましたね。千代の富士が破れて花道を帰る時、ニコニコしながら花道を引き上げていった事を今でも思い出します。千代の富士は後で貴花田の事を「良い芽が出てきたなぁ」と語っていました。千代の富士は、3日目に同じ藤島部屋の貴闘力に敗れて引退を決意しました。この場所、貴花田は確か9勝を上げたとおもいます。翌名古屋場所では、自分の記憶では11勝だったとおもいます。平幕優勝を琴富士が確か14勝1敗でしましたが、この唯一の1敗は、貴花田が土をつけたとおもいます。
すいません。貴乃花の初優勝は、平成4年初場所です。平成3年春場所、当時の貴花田は自分の記憶では、前頭13枚目でした。体重を初場所前計量110キログラムから、春場所前には136キログラム、26キロも増えました。前の場所とは、見違えるくらい、たくましい体つきになったな、今でもよく覚えています。そして場所が始まると11連勝して、結果12勝3敗で終えることができました。翌夏場所は、自分の記憶では、番付を東前頭筆頭まで上げました。
まず初めは、貴乃花について語っていきます。貴乃花が脚光を浴びた、今から20年前、平成3年春場所、夏場所、それから貴乃花初優勝の平成4年春場所、そして貴乃花最後の優勝、平成13年夏場所と話しを進めていきます。
こんにちは。大相撲5月技量審査場所が終了しました。横綱白鵬の7場所連続、19回目の優勝で幕を閉じましたね。自分は、昭和50年(1975年)くらいから、今から約10年前、平成13年(2001年)くらいまでの大相撲について、語っていきたいとおもいます。マイペースで語っていきますので、よろしくお願いいたします。