【ホールデビューからライターデビューまで】 前回の続き。 ゲーセンでパチンコ漬けの高校生ライフを送っていた僕は卒業すると同時に即ホールデビュー。初めて打ったのはアクエリオンの甘だったかな? 今もそうですが、この頃から甘デジは好んで打っていました。 そして高校時代からボーダー理論や止め打ちなど、どうやったら勝てるのかみたいなのはある程度身に付いていたので、すぐに勝てるようになりました。 当時は今と比べて状況も段違いに良かったですしね。イベントも全盛で、新装初日なんかは割とどのホールもアケてくれていました。 最初の頃はお金がないので甘デジやパチスロの天井狙いなどをメインに立ち回っていましたが、ある程度軍資金に余裕ができてからはMAXタイプ(牙狼・北斗など)をメインに立ち回っている時期もありました。 色んな機種を打っていましたが、一番打ち込んでいたのは慶次~愛の甘だったかな? ちょうどホールデビューの時期に新台で入っていて、10台以上設置しているホールも珍しくなかった気がします。慶次ブーム全盛期でしたね。 そして、パチンコ以外の生活はと言うと、一応大学に通っていたのですが、こちらは2年で中退・・・。 まあ、特にやりたいこともなく、とりあえず大学は出ておいた方が良いかなぐらいの感覚で入ったので、単位もろくに取れず、多額の学費を払ってまで通いたいと思えなかったのでヤメました。 で、大学中退と同時に入学したのが「G&Eビジネススクール」というパチンコ業界に就職するための専門学校です。 ここで僕は、ライターコースと映像プランニングコースという2つのコースに通っていました。 ライターコースは、ライターや編集者を目指すコースで、雑誌の編集やら企画やら色々学びました。実際にパチスロ雑誌に僕らが製作したページを載せてもらえたりもしました。 また、課外授業と称して、当時ちょうど開催されていた「第1回 日本回胴王決定戦」に生徒全員でゲリラ参加するといったこともありました(笑) 映像プランニングコースは、メーカーや映像制作関連会社への就職を目指すコースで、液晶演出を作るための技術を学んだり、新台プレゼン用の企画書を作ったりしました。 いずれにせよどちらかの仕事に就きたいと思って入学したのですが、最終的にはライターにしました。 理由は簡単で、ライターになった方がパチンコを打てる時間が増えるから(笑) 今思うとアホな理由ですね(笑) そんなこんなで今に至るわけですが、気が付けばK-Naviに入って6年半も経ちました。 当時入った時に在籍していたライターの皆さんは全員卒業されてしまったので寂しいですが、これからも細々と頑張って行きたいと思います。 それでは、今回はこの辺で!